高知県の見どころ

現存12天守のひとつ/重要文化財の高知城を見に来ませんか!

高知県の見どころ
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高知城は、高知市のある高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)に築かれた城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川をそれぞれ外堀として利用されていました。

高知城は、現存12天守と呼ばれている江戸時代以前から天守が現存している12城のうちのひとつです。

戦国時代以前には大高坂山城または大高坂城と呼ばれる城が築かれていました。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工、2代忠義の時代に完成して土佐藩が置かれました。

 

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高知城の場所

 

 

高知城公園内の地図

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お堀

高知城のお堀は、追手門前から西に高知県庁前を通り、高知県庁の西隣にある高知地方裁判所との間まで延びています。

下の写真は、追手門の南から西の方向を見た風景です。右に見える林の部分が、丸ノ内緑地と呼ばれているところです。

テレビ東京の「緊急SOS池の水ぜんぶ抜く大作戦!」という番組で、築城400年のお堀の水を抜きました。

 

少し西に行ったお堀の風景です。右が高知県庁、左が高知市役所です。高知県庁は、お堀の内側、つまり高知城公園の敷地内に建っています。

 

高知県庁の庁舎と議会棟の間から高知城の天守が見えます。

 

お堀の西端から東の方向を見た風景です。右側の建物が、2020年に完成した高知市役所新庁舎です。

 

お堀の西端です。左に見える建物が、高知地方裁判所です。

 

裁判所との間に北向きに道路(一般の車両は通行できません)が延びています。この道路を奥に入って行ってみましょう。

 

奥には、お屋敷の庭園だった桜山があります。

 

 

 

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山内一豊像

お堀に沿って高知城の南側を見学した後は、追手門の方へ戻って、追手門の東側にある山内一豊公の銅像を見学しましょう。

山内一豊は、土佐藩初代藩主で、銅像は平成8年に再建されました。

 

追手門

追手門は、高知城の表門です。

門の入口は枡形の巨大な石垣で囲まれていて、敵を三方から攻撃できるようになっています。江戸時代からのものが現存しています。

追手門越しに天守が見られるのが、高知城の魅力です。

 

 

 

追手門の外側に「国宝高知城」の石碑が建っています。でも、現在は国宝ではなく「重要文化財」です。

高知城は、昭和9年(1934年)に国宝に指定されましたが、昭和25年(1950年)に文化財保護法が制定されたことで、天守閣を始め15の建造物が国の重要文化財に指定され、現在は国の重要文化財です。

この石碑は、戦前に国宝に指定された際に建てられたものがそのままになっているんです。

 

 

 

 

 

 

追手門にある「石落とし」です。
敵の攻撃を防ぐため、石を投げたり、熱湯を流したり、槍で突いたりするための仕掛けです。

 

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御馬場跡(丸ノ内緑地)

丸ノ内緑地へ渡る橋です。

 

 

この「丸ノ内緑地」は、昭和51年(1976年)に開設されましたが、元々は、高知城の「御馬場跡」です。

 

 

丸ノ内緑地の直ぐそばまで、高知県庁の建物が迫っています。

 

丸ノ内緑地側から見た追手門の石垣です。

 

観光案内所

追手門を入ったところ(丸ノ内緑地からも入れます)に観光案内所とコインロッカーがあります。

 

板垣退助像

追手門をくぐると正面に見えるのが、この「板垣退助像」で、その上方に天守を望むことができます。

 

自由民権運動の父と言われる板垣退助の銅像は、昭和31年(1956年)に再建されました。

 

 

杉ノ段

板垣退助像を右に見ながら石段を上がって行くと、「杉ノ段」です。

 

その石段の途中に「石樋」があります。

 

高知県は全国でも有数の多雨地帯なので、排水に注意が払われています。石樋は、排水が直接石垣に当たらないように、石垣の上部から突き出して作られています。

 

石樋越しにも天守を望むことができます。

 

杉ノ段です。奥の石垣の上は三ノ丸です。

 

山内一豊の妻像

杉ノ段に上がって右側に「山内一豊の妻像」があります。

内助の功で知られる山内一豊の妻です。大河ドラマ「功名が辻」で、仲間由紀恵さんが一豊の妻「千代」を演じました。

 

 

 

杉ノ段から高知城の敷地を一回りしてみました。

 

 

追手門のちょうど反対側あたりに「城内神社跡」があります。ここに4つの神社があったらしいのですが、明治以降、それぞれ高知市内の別の場所に移されています。

 

 

西ノ丸

西ノ丸は、高知県庁の北側に位置します。

 

現在は弓道場になっています。

 

西ノ丸跡の直ぐ横に「搦手門(からめてもん)跡」があります。

 

搦手門(からめてもん)の「搦手」とは城の裏手を表す言葉のようです。

 

 

西ノ丸からお城の方へ戻ります。この坂を上がると「御台所屋敷跡」があります。

 

御台所屋敷跡

御台所屋敷跡には、江戸時代の焼塩壺や瓦類のほか、丘陵部の上段では、鎌倉時代から戦国時代にかけての土器も発見されているようです。

山内氏の前にここに城を構えた長宗我部氏よりもさらに前の南北朝時代にも、居城として利用されていた歴史が裏付けられています。

 

 

この遊歩道は、御台所屋敷跡から「梅ノ段」方向へ続いています。

 

三ノ丸の方向へ戻ります。

 

 

 

鉄門跡

三ノ丸へ上がる途中に、「鉄門跡」があります。

ここは、かつて二階建ての門があり、鉄板を打ち付けた扉があった場所です。門を入ると枡形になっていて、詰門へ続いています。

 

 

 

詰門

本丸とその北側にある二ノ丸の間にかけられた櫓門(やぐらもん)で、二階は二の丸と本丸を結ぶ廊下橋となっています。

二階部分が中老の詰所として用いられていたことから、この名前がついたと言われています。

 

 

いつもは解放されていないのですが、偶然にもこの日は解放されていました。

 

 

一階部分は敵がまっすぐに通り抜けられない構造になっています。

東側の入り口から入ると、本丸西側の梅ノ段に抜けるように作られており、本丸にはつながっていません。

 

 

 

 

詰門を出ると梅ノ段です。

 

梅の段

 

 

 

 

 

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三ノ丸

詰門から三ノ丸に戻りました。写真の石段を上がると二ノ丸で、右に行くと三ノ丸です。

 

 

かつては三ノ丸御殿が建っており、年中行事や儀式が行われていた場所です。

 

三ノ丸にある高知地方気象台の桜の標本木(そめいよしの)です。

 

 

水路の遺構です。三ノ丸に降った雨を集めて二カ所の石樋から排水することで、石垣を守るために作られたものだと思われます。

 

 

これは、長宗我部氏が、岡豊城から移って来て築城した際の石垣跡です。

長宗我部氏は、ここに築城したものの、水害で城下町を作れなかったことから、浦戸城へ移転したということです。

 

 

 

二ノ丸

二ノ丸へ上がって行きます。

 

二ノ丸には、政務を執る表御殿と藩主が日常生活をする奥御殿が造られていました。

 

ここが、詰門の二階部分の廊下です。

 

 

 

 

 

 

かつて家老や中老の詰所だったところです。

 

ここを出て石段を上がると、本丸と天守です。

 

詰門の2階部分のさらに上には、展示室がある「東多聞」があります。

 

本丸・天守

高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城です。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。

本丸御殿

天守に隣接して造られています。

 

入場料は、大人ひとり420円です。券売機で引換券を買って入場します。

 

靴は下駄箱へ。鍵も掛かります。

 

 

 

まず、右の部屋へ。

 

 

欄間を展示していました。

 

元の場所へ戻って、次は左へ。

 

展示している着物は、大河ドラマ「功名が辻」で仲間由紀恵さんが使用した衣装です。

 

本丸御殿内の様子です。

 

 

 

 

物見窓です。

 

手前が二ノ間、奥が上段ノ間です。

 

上段の間です。その奥が「武者隠」です。

 

 

武者隠の内部です。裏側を通ってこの部屋を見学することができます。

 

天守

手前が本丸で、奥が天守です。

 

高知城の天守は、外観が四重、内部は三層6階建てです。

 

天守の入口には頑丈な扉が取り付けられています。

 

 

天守の1階は、展示コーナーとなっています。

 

 

石落としです。

 

 

下から見るとこんな感じです。

 

天守の階段は上がりやすくは造られていません。

 

2階部分です。

 

 

さらに上へ上がっていきます。

 

 

天守の最上階です。ここから高知市内が一望できます。

 

高知市内の北方向の風景です。

 

西方向の風景です。

 

南方向の方形です。

 

東方向の風景です。

 

天守から三ノ丸を見た風景です。

 

天守から二ノ丸を見た風景です。

 

天守から本丸も一望できます。

 

展示室

天守から出たら、次は展示室です。

 

展示室は、東多聞にあります。東多聞は、当時武器庫として使用されたいました。

 

長宗我部氏当時の「一領具足」の農民の像があります。

 

 

廊下門へ。ここは、詰門の上の部分の廊下のさらに上です。

 

高知城の築城の様子や、当時の庶民の暮らしぶりが模型で展示されています。

 

黒鉄門

高知城本丸の裏側の防備を固めた門が、黒鉄門(くろがねもん)です。

 

黒鉄門を出て、本丸と天守の周りを回りながら降りて行くと三ノ丸方向へ繋がっています。

 

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まとめ

高知城を楽しんだ後は、すぐ東側にある「高知城歴史博物館」の見学も忘れずに。館内には、国宝や重要文化財を含む山内家の貴重な資料、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料が展示されています。

また、追手門の前から東に延びる「追手筋」では、毎週日曜日に日曜市が開催されているほか、追手門から約100m東に行くと「ひろめ市場」もあり、食事を楽しむこともできます。是非どうぞ。

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