四万十川源流域の高知県高岡郡津野町へ行って来ました。ここには「早瀬の一本橋」という丸太を縦半分に切って渡しかけた珍しい橋があります。
この橋は、四万十川の沈下橋の原型といわれいて、流れ橋ともいいます。長さ9m、幅0.6m、厚さ0.3mほどの木の板3枚の橋で、昔から地域の行き来のための重要な橋でした。
橋を構成している板をワイヤーで繋いでいて、増水したときに流されるのを想定して作られた珍しい橋です。
2020年12月23日放送の「にっぽん縦断こころ旅とうちゃこ」で紹介されました。
四万十川源流点
場所・アクセス
須崎市方面から国道197号線を愛媛県大洲市方面へ行っていると、津野町船戸に「船戸郵便局」があります。反対側に「ヤマザキショップ」があります。その前の信号交差点を右折して、そこから約7㎞山道を上ります。
ただひたすら上ります
途中の道路はこんな感じです。ただひたすら山道を上ります。十分運転に気をつけてください。
途中に何カ所か分岐がありますが、案内標識がありますので迷うことはないでしょう。
到着しました。ここが「四万十川源流点」の登山口です。iPhoneのアプリで確認したら標高910mでした。たいへん寒かったです。
車で行けるのはここまでで、源流点へはここに車を置いて、25分ほどの登山が必要です。
ここに「四万十川源流点」の石碑が建っていました。
登山道はこんな感じでした。私、この日(12月25日)あまりにも軽装で気温も低かったので、もしものことを考え登山はしませんでした。改めて挑戦したいと思います。
早瀬の一本橋
場所・アクセス
高知県高岡郡津野町芳生野(よしうの)地区にあり、国道道197号線沿いにある「津野町役場西庁舎」から天狗高原方面へ、国道439号線を経由して車で5分ほど行ったところにあります。
「四万十川源流点」への分岐の船戸郵便局前から、国道197号線を愛媛県方面へ行くこと約7.5㎞。津野町役場西庁舎の手前にこんな看板があります。ここで国道197号線をそれて看板のある脇道へ入ります。ここから先が国道439号線に繋がっています。
先に行くと「吉村虎太郎邸」があるようです。
到着です。
吉村虎太郎とは・・・
吉村 虎太郎
吉村 虎太郎(よしむら とらたろう、天保8年4月18日(1837年5月22日) – 文久3年9月27日(1863年11月8日))は、幕末の土佐藩出身の志士。諱は重郷。一般には「寅太郎」と記されることが多い。土佐藩の庄屋であったが、尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死。(天誅組の変)(出典:Wikipedia)
吉村虎太郎邸
吉村虎太郎邸は、2015年6月に復元された吉村虎太郎の生家です。復元には茅葺き屋根や虎太郎の姉が嫁いだ古民家の資材が再利用されるなど、江戸期の建築手法を随所に取り入れ、庄屋屋敷の趣を残しているいようです。
表門は高知県の「史跡文化財」として指定されています。邸内には古文書や映像などで虎太郎の生涯と活躍の紹介を紹介しています。休憩場所としてもくつろぐことができます。
国道439号線を走っていると、左側に黄色の看板が見えてきます。この看板の手前の道路を左に曲がり、上に上がっていくと虎太郎邸です。
駐車場もあります。是非行ってみてください。
早瀬の一本橋へ
早瀬の一本橋は、吉村虎太郎邸への入口の真ん前です。吉村邸の案内板の横に「早瀬の一本橋」の案内板もありました。
夏は子どもの遊び場なんですね。
吉村邸への入口とは反対方向に一本橋への降り口があります。車は国道沿いに駐めておいた方がよいでしょう。降りて行くと狭かったです。
ここに案内板がありました。
案内板を通り過ぎて道路を下ります。
すぐに橋が見えてきます。
以下、写真のみを見てください。川もきれいで美しかったです。橋も自然に溶け込んでいました。
橋はワイヤーで近くの大木と繋がれています。
まとめ
たいへん寒い時期に行ったのですが、その分空気がすんでいて素晴らしい体験をすることができました。国道沿いに車を駐めて橋を見に行ったのですが、出会った地元の方が気さくに声をかけてくれました。是非一度行ってみてください。